東京地方裁判所 平成3年(ワ)637号 判決 1992年1月27日
原告
甲野春子
右訴訟代理人弁護士
武田昌邦
被告
乙川二郎
右訴訟代理人弁護士
津川哲郎
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
1 被告は原告に対し、三〇〇万円及びこれに対する平成元年一一月一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告は原告に対し、別紙記載の謝罪文を別紙記載の条件で作成し、交付せよ。
第二事案の概要
本件は、被告が電話で原告の名誉を毀損する発言をしたとして、慰謝料と謝罪文の交付を求めた事件である。
一争いのない事実
1 (当事者)
(一) 原告は、訴外亡甲野一郎(以下「一郎」という。)の妻であり、被告は、右一郎の友人であったものである。
(二) 一郎は、平成元年六月一一日、自殺により死亡した。
(三) 訴外丙沢夏子(以下「夏子」という。)は、原告の実姉である。
2 (本件口論)
被告は、一郎が他から賃借していた駐車場を一郎から転借していたが、その件に関して、夏子は、平成元年一〇月三一日、被告に対して電話をかけ、その電話の中で、夏子と被告との間で口論があった(この電話の中の被告の発言が本件の問題となっている。以下この電話での口論を「本件口論」という。)。同日、原告から夏子との電話の口論の中での被告の発言を撤回するよう求めたが、被告は、撤回することを拒絶した。
二争点
原告は、本件口論の中で被告は夏子に対して一郎は「おまえたち姉妹が殺したようなものだ」と発言し、原告に強度の精神的ショックを与えたと主張し、慰謝料三〇〇万円と謝罪文を請求している。これに対して、被告は、一方的に被告を非難する夏子に対して「彼がああなったのも分かる気がする」と述べたのであって、原告の名誉を毀損する発言はしていないと主張している。
したがって、本件の争点は、本件口論での被告の発言内容とそれが原告に対する不法行為を構成するか否かである。
第三争点に対する判断
一本件口論に至るまでの経緯等
証拠(<書証番号略>)によると、本件口論に至るまでの経緯等について、以下の事実が認められる。
1 原告と一郎は、友人の紹介で昭和六三年一一月ころ知り合い、平成元年二月二八日に婚姻届けを出して夫婦になった。原告も一郎もともに再婚同士であり、それぞれ前夫、前妻との間に一人ずつの子供がいる。
2 一郎は、自動車を保有し、板橋駅前にある自動車駐車場を借りていたが、原告との結婚生活の費用にあてるために自動車を売ってしまったことから、平成三年三月ころ、被告に対し、経済的余裕ができて再び自動車を購入するまでの間転借してくれるよう依頼した。このため、被告もこれを承知し、被告が右駐車場を使用するようになり、転借料として一か月二万〇八〇〇円を一郎に支払うようになった。
3 一郎は、原告との婚姻後、原告が原告の前夫や他の男性と交際しているのではないかと疑い、ノイローゼ気味になっていたが、平成元年五月ころ、些細なことから原告と諍いとなり、一郎が電話線を切ったり、包丁を持ち出すような騒ぎとなった。これを電話で聞いた夏子は、急遽原告の家に駆け付け、一郎をなだめたうえ、原告と一郎を別居させることにし、原告を世田谷区瀬田の夏子の自宅に連れて帰った。
4 その後、原告と一郎は別居していたところ、同年六月一一日、娘の幼稚園の父親参観日に幼稚園で会ったが、これには夏子も同席した。その際に原告と一郎は、話し合いをし、一郎は原告に家に戻って欲しいと言ったが、原告は気持ちの整理ができていないということで、再び夏子の家に戻ってしまった。
その日の夕方、一郎は、夏子の家に電話をし、夏子と約一時間ほど話し合ったが、その日の夜、自殺してしまった。
5 一郎が死亡した後は、被告は、駐車場の転借料を原告に支払ったが、平成元年七月中ころ、被告は、原告に駐車場を一時的に別な人に貸していいかと聞いたところ、原告はこれを承諾したので、被告は、駐車場をヒサヤ産業株式会社(以下「ヒサヤ産業」という。)に再度転貸した。原告は、八月初めころ、行き先を被告に知らせないまま、島根県の実家に戻ったため、被告は、駐車場の支払を見合わせていたところ、同年九月になり、夏子から駐車場料金の支払を求める電話があり、その際、被告は夏子に駐車場は別な人に転貸しているので銀行の口座番号を教えてくれれば振り込ませる旨答えた。そのため、夏子は被告に原告の銀行口座を記載したメモを渡した。しかし、ヒサヤ産業が駐車場料金を原告の銀行口座に振り込んだのは、平成元年一一月二日のことであった。
6 夏子は、駐車場料金が平成元年一〇月三一日になっても支払われなかったため、同日夜、原告に代わって被告に電話をし、駐車場料金が支払われていないことを告げ、転借人に会わせてくれるよう要求した。これに対して、被告は、転借人であるヒサヤ産業の社長は忙しいのでなかなか会えないなどと答えたため、夏子は、被告は転借人に会わせたくないと受け取り、なおも転借人と会わせること要求したため、被告と夏子との間で言い合いになったが、その挙げ句、被告は「自分を信用してもらえないのは心外だ」と怒りだし、夏子も被告に、無責任だとか非常識だというような発言をし、互いに感情的な言葉を発する口論となってしまった。その中で、一郎の自殺に関することも話に持ち出され、被告からは夏子に対して、「あなたの言い方を聞いていると一郎がああなったのも分かるような気がする」と一郎の自殺の一因が夏子の態度にあったことを暗示させる言葉が発せられ、夏子からは被告に対して、友達なのに一郎の悩みも分かってやれなかったではないかと被告の態度を非難する発言がなされ、言い争ったまま電話は切られた。
7 夏子は、被告への電話を切った後、当時島根の実家にいた原告に電話をかけ、被告との電話のやり取りを報告した。一郎の自殺については一郎の友人や親族達の間で誰いうとなく原告に原因があるとする噂が流れ、原告は苦慮していたところ、夏子からの電話の報告で被告が一郎の自殺を自分達のせいにしていると受け取り、即座に被告のもとに電話をかけ、夏子に言ったことを取り消すよう求めたが、被告は、これを拒否した。
二ところで、原告は、本件口論の中で、被告は夏子に対して、「おまえたち姉妹が殺したようなものだ」と発言し、原告の名誉を毀損したと主張し、<書証番号略>(夏子の陳述書)には、右主張に沿う記載部分がある。そうして、前項で認定したところによれば、本件口論の中で、被告と夏子はかなり感情的になっていたことが認められるから、被告から夏子に対して穏当を欠く言葉も発せられたことは推認できなくはない。
しかしながら、前記認定の事実によれば、もともとの口論は駐車場の使用料金のことであり、口論自体は被告と夏子との間のことであるから、この中で原告を中傷する発言がなされたとまでは認め難いところもあり、原告の主張を否定する被告の供述にも照らすと、前記<書証番号略>の記載のみでは原告の主張を認めることはできないものといわざるをえない。本件口論の原因は、駐車場の料金が円滑に支払われていなかったことであり、そのことについてはヒサヤ産業に転貸した被告にも責任がないわけではないし、それを非難されたからといって、一郎の死の原因について夏子に責任があるかのような発言をしたことについては被告に責められるべきところがないわけではないが、電話の中の口論の中でのその場限りの発言であるし、しかも、原告に対するものとは認め難いから、被告の右発言が原告の名誉を毀損したものともいえない。
三したがって、原告の本訴請求はその余について判断するまでもなく失当である。
(裁判官大橋弘)
別紙謝罪文の内容等<省略>